MINDINGROAD’s diary

日記です。英語と大阪とランニングと水泳とサイクリング(ママチャリ)がメインです。

英語で挫折しないために一番大切なものはなんでしょうか?

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何で英語の勉強は挫折しちゃうんでしょうか?

そんなのは簡単なんです。
だって当然なんです。

「必要ない」からです。


英語なんて全く必要としない日本人はたくさんいると思います。
普通に考えて、必要とする日本人の方が少ないとも言えます。

だからです。

もうちょっと詳しく説明します。

日本人として日本で生活していて、英語が話せなくて困ったことがある人なんてまずほとんどいません。

たとえば「会社でいきなり来週から英語が公用語で日本語禁止になってしまった。」とか、いきなり「来週からシンガポールに転勤って言われた」とか、そういうまぁ、レアな体験をした場合、それは困った事があったという状況ではあります。

けど、そんな経験したことありますか?
また、あなたの周りにそんな経験した人いますか?
そうそういませんよね。
そんな人がいたら、話のネタには持ってこいですけど(笑)。

そうなんです。
そうそうないことなのです。
だから、英語なんて、日本人にとって、そうそう必要なものではないのです。
だから日本人で英語が普通に使える人がそうそういないのです。

でも外国に出て行ったらどうですか?
逆に英語「だけ」は必要です。
アメリカでなくても。

私は大学を卒業してすぐ、何を思ったのかインドにボランティアに行ってしまいました。
マザーテレサの施設でボランティアとして働いていました。
マザーテレサがまだ生きていらっしゃる頃で、
朝早く起きてミサに行けば普通にマザーテレサが「すぐそこ」にいるというレベルでした。
マザーテレサって世界中の教科書に載るような人ですから、もう歴史上の人物でもあり、
それだけで年齢がばれるというか、決して
若くはないという事だけはわかっていただけるかと(笑)

なぜ行ったのかとかいう話はここでのテーマではないので省略しますが、
約一年そこにいました。

最初はただの力仕事のヘルパーでした。
何せ何の技術もないのに、「気持ちだけで」たった一人でいきなりボランティアに行ったわけですから。
できることなんてそうそうありません。

毎日洗濯物を絞っては屋上で干しているという作業の繰り返し。

でも一年が過ぎるまでの間には、いつしか主力メンバー?にもなり、
最後は施設のシスターと普通に考え方が違う場合は
怒鳴りあいの喧嘩もしていました。

英語だったのか、現地のベンガリー語だったのか、はたまた向こうで誰も理解できない日本語で
一人怒鳴り散らしていたのか。。。覚えてません。

そう、なんと!何語で怒鳴り散らして喧嘩してたのか、覚えてないんです。
でもその喧嘩はちゃんと成り立っていた。
だからきっと英語だったはず(笑)

実は私はインドに行ってから英語の勉強はむちゃくちゃしていました。
新聞(The times of INDIA、ボリウッド情報満載→ちなみにボリウッドってハリウッドのパクリでインドのボンベイがインド映画のメッカだったのでボリウッド(笑))も買って毎日読む。
わからない単語は辞書で引く(向こうでゲットした辞書なので、当然英英辞典)。
毎日ボランティアで欧米人とコミュニケーション。ドイツ人とも普通に英語でコミュニケーション。
私がクシャミしたら、ドイツ人でもどこの国の人でも(God)Bless you!って言ってくれる。
いつの間にか私も誰かがくしゃみしたらBless you! って言ってました。

クシャミしたら何でGod bless youなのかって言うことの意味はキリスト教徒じゃないからわからないので教えてもらいました。
クシャミしたら魂が抜けて悪魔が入ってくるか神のご加護を!ってことらしいです。

日本からギターを持って行ってたので外国人の前でまさかのビートルズ弾き語り!!
(そんな勇気は今は持ち合わせていません。。。若気の至り)。

まだ若かったので、エネルギーも持て余し、睡眠時間も3時間以下でも元気。

一日1ドル程度の安宿にずっといたので特に娯楽もなく、
マザーテレサの施設で働く時間以外はほとんど語学の勉強をしていました。
現地のベンガリー語も、大阪弁を覚えたいインド人と、ベンガリー語を覚えたい日本人の
需要と供給がぴったりマッチングした奇跡の出会いがあり(残念ながら相手はオッサンでした)
週に二、三回その人の家に行ってベンガリー語と大阪弁と英語の混じったむちゃくちゃな
勉強会をしていました。感覚的には家庭教師?みたいな。

かくして私は、インドのカルカッタ(今はコルカタと発音します。当時ボンベイだった街も今はムンバイと発音します)という街で、何不自由なく、
英語と現地のベンガリー語をいつの間にか普通にそこそこ操る生活をするに至ったのでした。

ここで、私が考える、英語(語学全般)を勉強するにあたって一番大切な事がはっきりと見えてきます。

それは「必要性」です。

必要性があるからとことんやりまくる事ができる。

けど、その必要性がない日本にいる日本人は英語ができない。

「当たり前です!!」

だから、英語を勉強するに当たって一番大切な事は「必要性!!!」を感じる状況に追いやる、追い込むことなのです。
人間、結局追い込まれるまで何もしません。
(たぶん)

追い込みましょう。

「英語、必要やね」という環境に追い込む事。

あとは勝手に好きに勉強してくれます。

日本人は英語がダメなだけで、あとはとってもすごいと思うんです。
だから、ホントはもっともっと世界中で活躍できるのかなぁって思ってます。

じゃあどうやって日本に生活しつつも、英語の必要性を感じる方向に持っていくのか・・・

無理やり外国人とコミュニケーションを取る!!
けどあまりうまくは行かない。それでいいんです。

もっとやってやる!という意味で「必要性」を感じる!!!

そういう流れです。 。 。

どこでコミュニケーション取るねん?とお思いですよね。

  街にたくさんいてますよね、地図もってキョロキョロしてる外国人。
捕まえちゃいましょうよ(笑)
↓まさに昨日のブログに書いたような事です。

 

mindingroad.hatenablog.jp

 

日本人と違ってみんな知らない人に話しかけられることに抵抗は持っていません。
逆にそんなの持ってる(持ちすぎ)なのは日本人です。

下手な日本語でもいいのでどんどん話しかけて行きましょう。
そして、日本に居ても英語の「必要性」をどんどん高めていく。

これが重要だと考えています。

ところで、そういう私の現在はというと、英語などまったく使わない「必要のない」生活を

20年も過ごしてしまっており、英語が出てこない状況になっていることを発見しました。

つい最近の話ではなく、結構前から気づいていたのですけど、それこそ必要性がないから

放置していました。

 

確かに必要性はない。

だから、こんなブログを立ち上げて、自ら必要性のある場所に追い込もう。

私自身もまた勉強を始めるために。
私の必要性、それはいつか人に英語を教える人間になりたい。
そのためには、英語力必要ですよね。(これは私自身の話なのでスルーしてください)

英語がペラペラになるために必要な情報をどんどん記事にしていけたらなぁって思っています。